突然の訪問者がやってきたのは、風呂に入り、歯もみがき、パジャマがわりのスウェットに着替え終わった時だった。 「邪魔するよ」 ガラッとベランダに通じるドアが開く。部屋の内へ声をかけた人物は、硬直するオレを気にすることなく、礼儀正しく靴を脱ぐとそれをきちんと並べて中へ入った。閉められないままの窓から流れ込む空気が冷たい。 「やあ」 ベッドの傍に立ち、今まさに照明を消そうとしていたオレに向かって、侵入者――ヒバリは笑いかけた。ようやく驚きからくる硬直が解けたオレは、スイッチにのばしていた手を下ろした。 「何の用だよ、こんな時間に」 オレはどさりとベッドに腰を下ろす。現在の時刻は日付が変わって1時間ほど経った頃だ。時計を見て確認すると針は12時48分を指していた。 「うん、ちょっと君に渡したい物があって」 そう言いながらポケットから何かを取り出そうとするヒバリの行動を、オレは不思議に思う。明日は別に休みじゃない。学校に行けば問題なく会えるというのに、わざわざ深夜にやってきて渡したい物とは一体なんだろうと首を傾げる。 「はい、口開けて」 「あ?」 ヒバリの言葉の意味が分からずに返した疑問の言葉が、図らずもその要求に応える結果になった。素早く伸びてきたヒバリの手が、オレの口に何かを押し込む。驚いて目を見開くオレの口の中に、甘い味が広がった。 「……チョコレート?」 ゆっくりと口を動かしながら、オレはヒバリに尋ねた。ヒバリはオレの目の前で満足そうに立っている。口の中のチョコレートはいつも食べているものよりも甘くない。むしろ苦みの方が強いかもしれない。オレは柔らかく溶けたチョコを飲み込んだ。 「あげるよ」 ヒバリは手の中にあった箱をオレに差し出した。くしゃくしゃの包装紙の上に、リボンが中途半端に絡んだ箱。それにはオレでも見覚えのある、有名なチョコレート専門店のロゴが入っている。反射的に受け取ったが、何故チョコレートをくれるのか分からない。 立っているヒバリと、座っているオレ。いつもよりも大きな身長差で、いつもと変わらない表情を見上げる。 そんなオレの顔を見ながら、楽しそうにヒバリは笑った。チョコの意味が分からないオレをおもしろがっているようだ。 「じゃあ、僕は帰るから」 「は?」 ヒバリは結局説明をしないままくるりと踵を返すと、ベランダに並べてあった靴に足を入れた。慌ててチョコをベッドの上に置いて、オレはヒバリの後ろに立つ。 「また学校でね」 ちゅ、と音を立てて、ヒバリはオレの頬に唇を落とした。あっという間にヒバリの姿は目の前から消え、やがてバイクの遠ざかる音が聞こえた。 「何だったんだ」 オレは唇が触れた頬を押さえながら、しばらく外を見ていた。剥き出しの首筋を撫でる冷気に肩が振るえて、オレは慌てて窓を閉める。 ベッドの上の菓子は、蓋をしてソファテーブルの上に置く。チョコを食べたせいでもう一度歯をみがく羽目になったオレは、よく分からないまま洗面所へと向かった。 ヒバリからのチョコレートがバレンタインの贈り物だったことにオレが気づいたのは、翌朝十代目の家へお迎えに上がったときに、お母様から「バレンタインのチョコよ」とチョコケーキをいただいたときだった。 (おわり) 2008.2.13 |
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